「今こそ韓国に謝ろう」百田尚樹・・・PartⅠ

スピリチュアルや心霊現象からは少し離れるが、ある意味怖い民族の話題。

タイトルを見てまず疑った。彼がこんなことを言うはずがないと。読んでみた。確かに謝っている...思いっきりディスりながら。
以下、抜粋にて紹介する。

「教育の強制」
併合時の朝鮮半島は全土で小学校100校程度、文盲率は90%を超えていた。それを日本は併合30余年で小学校4300校開校、ハングル文字を習得させ、文盲率を40%まで引き下げた。
校舎も、日本がまだ木造であったのに比べ、レンガ造りやコンクリ-トの立派な建物であった。
更に、24の専門学校、75の高校、133の実業学校、一つの大学予科等、総数5000校の学校を開校。そして京城帝国大学、これは大阪帝国大学、名古屋帝国大学に先んじて造られた。
しかし、これらは望まない朝鮮人に対する勉学の強要であり、謝罪しなければならない。

「自然環境の変更」
朝鮮人には植林という概念はなく、建築や燃料のために木材を切ったあとはそのまま放置、山々は禿山だらけで保水力はなく、大雨が降れば洪水を引き起こしていた。
そこで、日本人は植林事業を始め、山々を緑豊かな日本風に変えてしまった。
また、当時全線100キロメ-トルも無かった鉄道を、総延長距離6000キロメ-トルまで増やした。
河川においてもほとんど護岸工事がなされていない為、大雨が降ればたちまち堤防が決壊し、洪水の被害をもたらしていた。そこで日本は、多くの河川の護岸工事を行い、また多くのダムを造った。
更に、灌漑はほとんどされず、雨水頼りだった農業において、水利組合を組織して防水灌漑を管理し、また水力発電を兼ねた貯水池を造るため、巨大なダムまで建設した。
また、当時の朝鮮は橋を架ける技術が低く、橋脚は四角柱であった為水の抵抗をモロに受け、洪水が起こるとすぐに橋が流された。そのため大きな川にはほとんど橋はなかった。そこで日本は大きな川にいくつもの橋を架け、漢江には1100メ-トルの鉄橋をも架けた。
これらの事業により、朝鮮人の望まない自然環境の変更を日本が行ってしまった。

「農業を歪めた」
併合時、人の手の入っていない荒地が数多くあり、それらを開墾して新たに水田を増やした。その為耕地面積は倍になった。
また、灌漑がほとんど行われておらず効率が悪かったので、貯水池や溜池をいくつも作って水利組合を組織し、防水や灌漑を施した。
更に土地改良を実施し、冷害強い米なども導入、世界一の窒素肥料工場を建てて、ふんだんに肥料を投入した。
そして、仔牛を無料で貸し出し、畜産の基礎を築かせるとともに、農業学校も数多く建て、若者に農業実習までさせた。
その結果、人口増加にもつながり、30年余りで人口は倍増、平均寿命も24歳から42歳に延びた。

「産業形態を歪めた」
当時、農林水産業の生産が80%の一次産業国であったが、これを工業生産41%まで引き上げ、農林水産業とほぼ同率にした。その為に日本は多額の国家予算をつぎ込み、170の工場が稼動し、100万人を超える雇用を生み出した。

「併合前の朝鮮」
併合前の朝鮮を旅行した外国人は、口を揃えて村や町の不潔さを伝えた。市街地であろうが、いたるところに牛や馬の糞が転がり、また人糞も珍しくない有様で、鼻の曲がりそうな悪臭が朝鮮半島の名物であった。また、不潔さは街だけではなく生活全般に亘り、入浴の習慣もなく体からも悪臭が漂っていた。糞尿に対する感覚も独特で、家の中に尿瓶が置かれ、客を迎えるときも隠そうともせず、顔や陰部を洗うのにも用いていたらしい。
貨幣の流通も普及せず、米や布が貨幣の代わりに用いられていた。そこで、併合前ではあったが、日本が主導して貨幣制度を改め、日本の大阪造幣局で貨幣を発行、日本の第一銀行韓国総支店が銀行券を発行して大韓民国の貨幣として流通させた。
併合前の朝鮮は世界最貧国の一つであり、とても文明国と呼べるものではなかった。
韓国は今も、日本が朝鮮半島から多くのものを奪ったと非難するが、盗めるものなど何もなかったのが事実である。

「身分制度の破壊」
併合前の朝鮮は階級社会であった。
王族およびその縁戚である「貴族」
次に特権階級である「両班」(ヤンパン)
この二つが支配階級で、戸籍上両班が半数以上を占めていたとの資料があるが、これはおそらく戸籍を持っていた人の中での割合で、朝鮮人の多くは戸籍を持っていなかった。
そして両班の下には「中人」(チュンイン)と呼ばれる階層があり、官僚機構を担っていた専門職であるが、両班からは激しく差別されていた。
その下が「常民」(サンミン)で多くは小作農で実質的な人権はなかった。
その下に位置するのが「賎民」(センミン)で、賎民の中でも身分が低かったのが「白丁」(ペクチョン)と呼ばれた人々で、戸籍も姓も人権も与えられていなかった。
これ以外にも「奴婢」(ヌヒ)という身分があり、家畜同然で売買までされる存在であったという。
総督府はこの身分制度を破壊し、王族を除くすべての人々を平等に扱った。そして、日本の戸籍制度を導入し「賎民」にも戸籍を与え姓を持たせた。
それでも元「白丁」などはしばらく差別を受け、出自の過去を消すために日本に渡って来た人も多いという。

「両班の実態」
両班は支配階級であり搾取階級で、その特権は相当なものであり、常民に対しては生殺与奪の権利を持ち、常民の物は食べ物であろうと妻であろうと娘であろうと平気で略奪し、常民は一切逆らうことは許されなかった。
気に入らない常民が居ると、家の前にムシロ巻きにして転がし、雇い人達に棍棒で打たせた。
また両班は働くことをせず、金が無くなれば商人や農民を捕らえさせて身代金を要求した。表向き良心的な人でも、借用の形で金品を借りたり、家や土地を買うが、支払いや返済は一切しない。
へたに官職に就いたりすると、すべての親戚縁者の扶養義務を負ってしまう社会なのである。
日本政府はこれら両班の特権を奪ってしまい、相当な恨みを買うこととなる。しかしながら大半の常民や賎民は、かえって感謝しているはずだと日本人は思うが、現代のほぼ全ての韓国人は「自分のル-ツは両班である」と主張しており、ほぼ全ての韓国人に恨まれるのは当然ということになる。

「刑罰の破壊」
『凌遅刑』の廃止。
凌遅刑とは、中国王朝に古来からある伝統的な処刑方の一つで、生きている人間の肉を少しずつ切り取り、長時間にわたって苦しみを与えながら殺してゆくという、想像を絶する恐ろしい刑罰であり、属国であった朝鮮も取り入れていた。
大きく分類すると、三つの等級に分かれ、一等級は墓に入っている死体を掘り起こし、首、胴体、両腕、両足の六つの部分に切り取ってさらし物にするというもの。
二等級は牛を用いて八つ裂きにするというもの。
三等級は生きたまま皮を剥いでいくというものであるが、これ以外にも残酷な処刑法があった。
ちなみに、両班でありながら近代化を目指して活動していた人物が、亡命中に上海で暗殺され、死体を持ち帰った朝鮮政府は、胴体は川に捨て、首、片手、片足をそれぞれ三つの地域に分けて晒し、妻子は奴婢の身分に落とされて売り飛ばされたという。
北朝鮮の金正恩委員長が叔父を重機関銃でバラバラに処刑したのも、この刑がル-ツになっているのかもしれない。
また、マレ-シアで暗殺された金正男氏の遺体も北朝鮮が持ち帰ったが、もしかして凌遅刑にする為だったのかも知れない。
もちろん日本やヨ-ロッパでも残酷な刑罰は行われていたが、近代においては姿を消しているにもかかわらず、朝鮮では20世紀に入ってもそうした刑が普通に行われていた。
日本はそれを廃止させた。

「七奪」の勘違い
韓国は日本が朝鮮から七つの物を奪ったと主張し、教科書にも載せているらしい。
それは「主権」「国王」「人命」「国語」「姓名」「土地」「資源」の七つのことをいう。

「主権」を奪った
そもそも朝鮮には主権はなく、中国の属国であった。
そして、朝鮮王朝は宗主国に対して守らなければならない規則があった。
1. 朝鮮国王は清の皇帝によって任命される。
2. 朝鮮国内の事件はすべて清の皇帝に報告しなければならない。
3. 朝鮮国王は清の使節をソウル城門まで出迎えなければならない。
4. 朝鮮国王の地位は清の延臣よりも下。
5. 朝鮮政府には貨幣の鋳造権はない。
6. 朝鮮政府には清に食糧や兵隊を要求する権利はない。
7. 朝鮮は毎年清に細かく定められた穀物と牛三千頭、馬三千頭、各地の美女三千人を選抜して貢がなければならない。
等、実に厳しい規則であり、更に3番の清の使者が来るときには朝鮮国王は自ら門に出向き、「三跪九叩頭の礼(サンキキュウコウトウ)」で迎えたという。これは土下座の姿勢で頭を三度地面に叩きつけて立ち上がり、これを三度繰り返す礼のことで、国王が清の使者に対してここまでへりくだっていたらしい。
日本は日清戦争の勝利した際、清に朝鮮の独立を認めさせ、「大韓帝国」として独立国家が誕生した。
言わば日本は朝鮮に主権を与えたのである。
しかしながら、せっかく独立を果たしたものの近代化は遅々として進まず、経済政策も失敗して国が混乱するばかりであった。
そして、困ったことに今度はロシアに接近し出し、ロシアが清に代わって朝鮮半島に勢力を伸ばし始めた。これには日本も安保上見逃せず、ついに日露戦争が勃発するに至った。この戦争にも勝利した日本は、諸外国の承認を得た上で大韓帝国を保護国とした。
しかし、それでも近代化が一向に進まない状況から併合論が高まり、併合に反対していた伊藤博文初代総督が朝鮮人テロリストに暗殺されたことで、一気に併合に舵が切られた。そのテロリストは現在では韓国の英雄として称えられている。
以上の経緯から、日本は主権を奪ったのではなく、歴史上初めて主権を与えたのである。後に併合で主権を預かることになるが、決して力ずくで奪った訳ではない。

「王を奪った」
併合後、日本は李王朝に対して大いに敬意を払い、皇族に準ずる身分を与えている。そして二代目李王は日本の皇族出身の女性を妻とし、陸軍士官学校を卒業して後に中将になっている。
もし日本が手厚く遇していなければ、李王一族は民衆によって虐殺されていた可能性
が高いと言われている。
終戦後、韓国に戻ろうとした二代目李王の帰国を初代大統領が拒否し、実質的に王朝を廃止したのは韓国である。

「人命を奪った」
『三・一独立運動』は皇帝の死がきっかけとなって起こった独立運動で、最初は平和的なデモだったが、欧米の宣教師に煽られた朝鮮人キリスト教徒が暴徒化し、地方都市や農村に広がって大きな暴動となった。これを鎮圧する際に朝鮮人が五百人余り亡くなったという。しかし、日本が鎮圧しなければ朝鮮半島は大変な騒乱状態となり、最悪の場合とてつもない死者が出たのは間違いないだろう。

「国語を奪った」
総督府は実質的に文字を持たなかった民衆にハングルを教育し普及させた。つまり国語を与えたのである。

「姓名を奪った」
併合前の朝鮮には姓のない人がかなりいたが、日本は戸籍を作って姓を与えた。また、それまで名を持たなかった女性にも名前を与えた。奪ったのではなく与えたのである。
ちなみに、それまで姓のなかった人たちの多くが、新たに氏を登録する際に両班に多かった名前にしたので、現在の韓国人の姓は「金」「朴」「李」の三つで45%を占めることになっている。尚、現代の韓国人にル-ツを尋ねると、99%の人が「我が家は昔両班であった」と答えるという。

「土地を奪った」
併合前の朝鮮は両班達が土地のほとんどを所有しており、土地の所有に関する文書も偽造が横行し、複雑怪奇な様相で国の収税機構も麻痺した状態であった。
そこで総督府が朝鮮全土の田と畑の面積を調べたところ、脱税のために隠していた土地が大量に見つかった。これにより、正しく申告した常民に土地所有を認め、農民の半数が土地所有者となった。反面両班たちにとっては、それまで自分達のものであった土地を奪われた形となった。
また、せっかく農地を手に入れる機会を与えられながら、無知や怠惰で申告しなかった常民は逆に土地を失うこととなり、それらの土地は総督府のものとなった。
しかし、大半の常民は土地を手に入れたのである。

「資源を奪った」
日本は、朝鮮半島の山々に植林し、鉄道を敷き、道路を整備し、ダムや港を造り、河川に橋を架け、ビルや工場を建て、学校を造った。
奪うどころか莫大な資産を提供し、戦後これらのインフラ資産をすべて放棄し、お金は一切受け取っていない。

朝鮮労働者の強制連行について
在日韓国人、朝鮮人の多くは「自分達の祖父や父は戦争中日本軍によって強制連行されて来た」と主張する。
確かに戦時中「戦時徴用」として国内の工場に派遣した。ただ、日本ではそれ以前から日本人学生にも行われていたことであり、朝鮮人には正規の給料が支払われ、労働管理・整備された場所に限られ、留守家族には収入減の補填までなされていた。しかも、朝鮮人は長らく徴兵も免除されていた。そして、戦後彼らのほとんどが帰国した。
当時、日本国内に居た在日韓国・朝鮮人は約61万人、その内戦時徴用で国内に留まっていた人はわずか245人であり、99%以上の人は職を求めて自由意志で日本に来た人であり、しかも中にはかなりの数の密航者がいたという。

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