おっさんの「ひっそりスピリチュアル」
識子さんのおかげで神社仏閣への参拝の大切さを改めて認識した。
おっさんの町にも近所に氏神様があり、子供のころからよく境内で遊んでいた。罰当たりにも木や屋根に上ったりもしていた。さすがに賽銭は盗んでいない(誰も聞いてない)。祭りでは衣装を着て太鼓をたたいたり、神輿を引いたりしていた。(今でも続いている)しかしながら、形式上のお参りはしていたものの本気で神様がいると思って参拝したことはなかった。
最近は、午前中に前を通ればお参りするようにしている。
*午後、特に3時以降は神様が不在となり、参拝客の残した念や低い波動が集まりやすいとのこと。ただし、大晦日だけは神様が徹夜サ-ビスをしており、夜中でもOKらしい。
また、先祖の墓がある菩提寺においても、定期的に墓参りはしていたが、ご本尊の前は素通りしていた。今は必ずご本尊に挨拶してから墓参りしている。
氏神様だけでなく、同じ宮司さんが常駐している本山とも言うべき神社にも参拝に行く様になった。
トトロの森のミニチュア版みたいな感じの神社で、掃除も行き届き、境内に入ると清清しさが全身を包んでくれる。拝殿は水琴の音が交じった雅楽のようなBGMが流れており、厳かな雰囲気の中で参拝できる。おうら(裏)参りも背の高い木々に囲まれた祠を拝み、清んだ空気の中で上を見上げると、いつもその中の幹が一本揺れて「いらっしゃい」と言ってくれる。(気のせい?)今は月一回以上は参拝し、気持ちの良い時間を過ごさせていただいている。何箇所か他の神社にも参拝に行ったが、やはりここが一番落ち着き、清清しい空気が気に入っている。

また、家では毎朝一番に敷地内の鎮守様と神棚に礼拝、仏壇にはは白米とお茶をお供えしている。母が亡くなったことと、こういった知識を得たおかげだと思う。
識子さんによると、こういったことを続けているうちに、神様にご縁をいただけるようになるとのこと。
何よりも自分が気持ちよいので納得して続けている。

追伸、前回の識子さんの本でどうしても紹介しておきたかったことがある。
よく冗談で「水子の霊がついている」とか、インチキ霊媒師が「水子のたたりじゃ」とか言うのを聞いたことがあるが、そんなことは絶対ないそうである。
一説では子供は親を選んで宿るといい、宿ったときから好きで好きでたまらないお母さんとなる。だから自分が生まれることによって母体に危険な影響が出たり、たとえ親の身勝手な都合で中絶を選んだとしても、大好きなお母さんのために、子供は自己犠牲を選ぶそうである。真偽は定かではないが、これを書いているだけで涙があふれてくる。だから親としては、いつまでもごめんと悔やむよりも、ありがとうと感謝をし、13回忌までの供養をしてあげるのが一番喜ばれるらしい。それに、自己犠牲というのは大変崇高な行為とされ、お子さん自身も霊格が相当上がって転生できるらしい。それを聞いて少しは安心し、以前冗談にでも言ってしまったことを悔やむとともに恥ずかしく思う。


「おうら(裏)参り」の祠と神様が「いらっしゃい」と揺らしてくれる梢